ソフトウェアは宗教


とりあえずくだらない事を書いてみる。

「アップル信者」という単語は市民権を得ているように思うが、単一のソフトウェア(メーカ)を信仰する傾向は何故発生するのかを考えてみる。
暇な人は以下

自分を信者カテゴリで分類すると「Microsoft信者」 「ArcGIS信者」に該当するのではなかろうか?
しかし、信心は薄い⇒何故か?⇒ソフトウェアを道具としてしか見ていないから
ということではなかろうかと思う。

斧で木を切ろうが鉈で木を切ろうが木を切るという行為に変わりはなく、多少便利かどうか程度の違いだと考えており、どうでも良かろうでコダワリ感はあまりない。
では便利かどうかが白熱すると信者になるのか
⇒ 個人的な感想だが「信者」な人は代替ソフトウェアをあまり知らないように感じる

例:
リンゴ教徒:「革新的で洗練されたUI」
⇒トレンドを生んだのは確かだし、UIの傾向を変えたとは思うが別に現時点でも優れているか?と言う気がしてしまう。
まあコマンドプロンプトでコマンドほど洗練されたインタフェースは存在するのか(場合によるけど作るの楽)と思うぐらいUIに頓着ない人間がいうことではないが。

Linux信者 (?) というよりアンチMicrosft教信者?: 「xxxをソースからビルドした(自慢げに)」
⇒ 別にLinux使う人を馬鹿にしている訳ではなくコンパイルしてインストールしただけでしょ?誰でもできるし、という所が信者の信者たる由縁
(Linuxも好きですよ Debianとか ただCentってかRPM系はあまり好きではないが)

何故こうなるのか
・自分の譲れない機能ができないソフトは全否定したくなる (これは個人的にはあまり理解できない)
・自分の知っていること以外の事を覚えるのが嫌 (上でも書いてるとおりCentとかのRPM系のパッケージとかやったことないのを覚えるのが面倒なのは理解できる。)
ともかく自分の知っているソフトウェアのユーザを増やせば、そのソフトウェアの生存期間が長くなるため防衛機構が働いているのか。
いまひとつ必死に特定のソフトウェアに (アンチも信者も両方の意味で ) 固執する意味が分からない。

自分の知ってる世界に引き込みたいのはなんとなくわかるけどもそこにどれほどメリットがあるのか?

もう一つの要因は、「iOSならば素晴らしい事が出来る」的な夢を持っているパターンか?
とりあえず曲がりなりにもソフトウェア作成に関わった事ある人間は、ソフトウェアに幻想を抱くことはないと思うが
「このソフトは、XMLとかファイルベースじゃなくてDBだから」
⇒でメリットは?と聞くと答えが返ってこない ( マルチユーザ云々クエリ云々の返答あれば納得もするが )
と言う意味の分からないまるでDBMSに格納する事自体に意味があるかのように固執する人間もいる。
方法論は重要かもしれないが、そこで得られるメリット/デメリットが重要なのであって方法が重要なのではない。
(物理制約やメリット / デメリット分かった上で方法にこだわり、何故こだわるのかを説明できる状態で自分の考えに間違いがある可能性もあるだろうと分かっていれば何ら問題ないが)

まあ、何か変な幻想をいだいているのだろうが、DBMSとか自分の良く知らない凄そうな仕組みを使えば何とか要件を実現できる とか 速度が速くなるのでは? と言うように根拠なき幻想が渦巻いてこうしなければならない的な何かが働くパターン?。
(32bit⇒64bit幻想は結構多い気がするがスーパーファミコン⇒ニンテンドー64ほど進化はしない – あれはそもそもハードが違う…)

ソフトウェア技術者は「リスク軽減のためやったことしか受託しない」というのも大事だが、仕事外では色々触って「これしか駄目」とか「これでないと出来ない」と言う先入観(イメージ)でソフトウェアを見ないと言う事が求められるのではないかとまとめてみる。

ちなみにユーザには大いに幻想を抱いて貰って誘導できれば、色々案件を生むので良い事なのかもしれないが、作る側 (仕様決める等も含めて )は常に冷静である必要があると思う。

カッターナイフとハサミの使い分けと同様にソフトは得手不得手があるので先入観を持たず常に懐疑的に検証するのはやったことない事をやらないのと同様のリスク軽減となる。
昔はできなかった機能ができる様になっていたり、物理メモリ搭載量が増えて挙動が異なったりと状況は常に目まぐるしく変わっていく。

そんな、とりとめのない話。
ネガティブですね⇒はい、ネガティブですよ。と言う結論なのかもしれない。

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